『ミッドナイト・エクスプレス』という、原作が映画で「アメリカ万歳!」になってしまった作品
ヤマダです。
先日、『ミッドナイト・エクスプレス』を見ました。
確か昔にツタヤ発掘良品にて展開されたいたのを思い出し、ネトフリで見たのですが、とても面白かったです。
原作者の意図を知るまでは…
『ミッドナイト・エクスプレス』は、なんの変哲も無い青年が、ちょっと魔が差してトルコから帰国する前に、ハシシ(麻薬)を持って帰ろうとしたところ、運悪く検問に引っかかってしまい、刑務所へ連行。
そこからまさかの数年以上、地獄のような日々を過ごすことになってしまう…という、原作者の体験談から実写化した作品です。
作中でのトルコ政府や弁護士の対応、刑務所の劣悪な環境、拷問の描写はかなり胸糞が悪く、いかに原作者が過酷な場所で、いたずらに時間を過ごすことを強制されたのかがよく分かります。
原作者が刑務所で親しくなった男は、1人は脱獄に失敗し半殺しの拷問にあい、もう1人は性格の悪い看守に濡れ衣を着せられ人格が崩壊します。
原作者も、釈放から後2ヶ月ほどという時に、まるで気まぐれのごとく再審を行い、刑期が30年になるなど、信じられない展開に原作者はトルコ人を全員豚だと罵ります。
そんな彼がいかにして脱獄し、アメリカに戻ってこれたのか…というのが大筋。
しかしどうも本作は、原作をかなりアレンジしているようで、ざっくばらんに我々が見て「トルコ人ひでえことしやがる…」と、思った内容の多くが脚色されているようなのです。
(過酷な刑務所での生活で半狂乱の主人公と、その彼女。映画では彼女の目の前で連行されますが、原作では1人で連行されます)
その証拠に、本作を観て避難したトルコ人に対して、なぜか原作者が謝罪をしているのです。
原作者は、そもそも著書で一番言いたいことは、「一瞬の気の迷いで、人生を棒に振るって欲しくない」と言うものであって、「トルコでこんなにひどい目にあった!」と言うことではないとコメントしているそうです。
実際、映画におけるトルコ人の描き方にも不満がある様子で、原作者自身は、またトルコに行きたいとも語っていました。
話は少しそれますが、以前友人と話していた時に、アメリカはどうもときどき、「アメリカ万歳」と言う制作サイドの意図が見えて萎える時があるらと言っていました。
たしかに、『ゼロ・ダーク・サーティー』は、アカデミー賞を取ったのに、『デトロイト』は無冠どころかノミネートすらないのも上記のような考えが、アメリカの映画界にギンギンに根付いているからなのでしょうか…
話は戻って、『ミッドナイト・エクスプレス』においては、上記のようなことが原作と映画に起きてしまっていると言うあたり、本作の闇の深さを感じさせます。
「どんな些細なことでも、悪いことはするもんじゃない」と伝えたい原作者と、
「アメリカ人はトルコの劣悪な対応には屈しなかった!」と言いふらしたいお偉いさんと言ったところでしょうか。
その甲斐あって、本作はアカデミー賞脚色賞を受賞しました。どこまでな奴らだぜ…
(濡れ衣を着せられてしまうジョン・ハートさん)
こうした原作と映画のズレが生じたお陰で、映画では主人公がひどい目に合っていると抗議しても、(自業自得じゃね…?)と言う感情が付いて回ってしまいました。
まあ、そんな大人の事情を差し引いても、本作の持つ途方も無い負の連鎖の描き方はとてもエモーショナルで、観ていて全身に力が入ってしまいます。
看守を殴り殺そうとするシーンでは、主人公はとてもハシシをこそこそとアメリカに持ち帰ろうとしている奴には見えませんでした。
ガチで2.3人はやってる顔でした。それぐらい鬼気迫ってます。一見の価値アリです。
本作を見ると、映画の「実話に基づく」はどこまで信用していいかわからなくなるなあ…と言う話でした。